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はむつなブログ

日々感じたこと、考えたことなど書いていきたいです。

コスプレのススメ

秘かなコスプレ願望がある。

が、残念ながら思うようにはいかない。

 

コスプレの本質と醍醐味。

それは非日常性とエロティックさである。

 

そして何より自分が心から楽しめなければならない。

 

コスプレといえばハロウィン。

自分にとってベストな仮装を考えたい。

 

血のりをつけた白雪姫。

やりつくされて芸がない。 

 

アニメの美少女キャラクター。

文字通り次元が違う。

 

かぼちゃモチーフの着ぐるみ。

恥ずかしい。

 

そもそも30代の女がコスプレをやっていいのか。

 

 第一どこでコスプレを披露するというのか。

地方に住む人間にとってコスプレを披露する場所はない。

歩行者天国に行ける人間は限られている。

行きたいとも思わない。

仲間もいない。

大体、年に一度しかチャンスがないのはもったいない。

日取りを選ばないそんなコスプレはないだろうか。

そして年齢を選ばない。

且つ一人で楽しめるそんなコスプレ。

なるべくならお金もかけたくない。

 

そこで考えついた。

 

リクルートスーツである。

普段スーツを着ない人間にとって非日常的である。

なんだそんなことか、と思ったあなた。

大事なのはここからである。

 

左手の薬指に指輪をはめる。

 

求職中の人妻。

訳ありである。事情がありそうだ。

パートで探しているのか。

それともまさかフルタイムか。

 

エロティックである。

 

就活学生のようにピカピカのスーツはNGである。

ピカピカの鞄とパンプスもNGである。

少しくたびれたものをお勧めする。

思い切ってスーツにスニーカーでもいいかもしれない。

抜け感である。

 

その格好でウィンドーショッピングするのもいい。

けれどショッピングを楽しんではいけない。

ほしい服をみつけても買ってはならない。

求職中なのだから。

ショップ袋を肩にかけては絵にならない。

あくまでも、面接が思ったより早く済んで、時間をもてあましている、という感じがよろしい。

「さっき面接してくれた店長、わたしを見る目がなんかイヤだったな・・・。

 万が一採用されても断ろうかな。職場の雰囲気も思ってたより悪かったし・・・。」

この感じがいい。

今にもため息が聞こえてきそうな、この感じ。

 

この日の買い物は夕方に食料品を買うことだけが許される。

求職中なのだから。

 

公園のベンチで昼食をとるのもいい。

けれどコンビニで買った弁当を広げてはならない。

ハンバーガーにかじりついてもいけない。

家からおにぎりを持参しなければならない。

2個がいい。お茶付きで。

できればホット。

外で食べることに慣れない様子でまわりを気にしながら、こそっと食べる。

ベンチにはちょこんと、頼りなく浅く腰掛ける。

 

電車に乗るのもいい。

混雑した電車の座席に座る。

最初はスマホをいじってもよい。

けれど早めに切り上げて鞄にしまってください。

そしてカバーを付けた文庫本を取り出してください。

読みかけのページに目を落としてください。

文庫本を持つ左手の指輪を意識しながら。 

もちろん、この時本は一切読まなくて結構です。

 

そして万が一、知り合いに出くわした際。

なぜスーツを着ているかの返答は事前に用意しておいてください。

どんな理由を用意するかって?

それは各々考えてください。

血のりをつけた白雪姫の理由よりたやすいのですから。

 

街でうつむき加減のリクルートスーツを着た人妻と思われる女性を見かけたら、

くれぐれも「訳ありなんだな。」と思わないでください。

あなたはラッキーです。

 

彼女はコスプレパーティーの真っ最中なのですから。

お楽しみ中なのです。

訳ありなのです。

あの乙女は絶滅したのか。

少女漫画が好きだった。

インターネットも無い時代。小学生の頃。

りぼん、ちゃお、なかよし。

当時連載中の人気のある漫画が好きだった。夢中だった。

しかしやや古い少女漫画も好きだった。

古臭いコミック。

 

今なお心に刻みつけられた印象的なシーンがある。

 

クリスマスやバレンタイン。

片思いの男の子にセーターを編む乙女。

不器用ながらも、うっとりカレのことを考えながら。

 

そんな乙女がカレの背格好に似ている別の男に肩幅を測らせてもらう。

クラスメイトやアルバイト先の喫茶店のセンパイに。

メジャーを持っていたり、時に自分の手を広げ「このくらいかな」と。

それを偶然目撃したカレ。

楽しそうな二人に嫉妬するカレ。

乙女につらく当たるカレ。

傷付く乙女。涙する乙女。

誤解が解け一件落着。

不格好なセーターを渡す乙女。

顔を赤らめ照れる二人。

 

あれは一体何だったのだろうか。

ホントにあれは何だったのだろうか。

 

そもそも何故セーターを編むのか。

そして何故編めるのか。

けっこうな労力である。

当時の乙女は器用だったのか。そしてヒマだったのか。

手編みのセーターを渡すことを恥ずかしいと思わなかったのか。

手編みのセーターを着たカレを想像して幻滅しないのか。

もらった方はどんな顔して喜べばいいのか。本当にうれしいのか。

ウワッと思わないのか。ひかないのか。当時はそうなのか。

 

漫画の世界の話とはいえ現実世界でも実在したはずである。

2017年現在、そんな乙女はまだいるのだろうか。

絶滅したのか。絶滅していないのか。

 

カレのためにセーターを編む乙女のことではない。

 

肩幅を測らせてもらう乙女のことである。

 

あのシーンが載った漫画を集めたい。

わたしはあのシーンがとにかく大好きなのである。

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忘れられない言葉

20代の頃、婦人服店で働いていた。

地方のショッピングモールの中のテナントである。

 

出会ったころから最後まで好きになれなかった先輩がいた。

ひとまわり年上の女の先輩。独身。

高圧的で理不尽で世話好きなセンパイ。

時に愛され、時にいじめられていた。

一緒にタバコを吸いながら客の陰口を言い合い、必死に話を合わせていた。

サラリーウーマン。

時にわたしが陰口を言われていた。

嫌いだった。

 

その先輩の忘れられない言葉がある。

 

出産のため退職したAさんが、歩き始めたばかりの子供と一緒に店を訪れた。

よちよちとおぼつかない足取りの子供。

その姿を見た先輩ははっきりとした口調で

 

あんよが上手

あーんよーが上手

あーんよーがじょうず

あーんよーがぁじょーずぅっ!

 

手拍子も付いていた。

ターンタ・タ・ターンターンのリズム。

 

声援の言葉。エール。

「あんよがじょうず」

 

その言葉に仰天するも顔に出さない私。

ほほえみながら一緒に手をたたく。

ターンタ・タ・ターンターンと。

「ちんぽ」に縁遠い女性と「ちんぽ」をもてあます男性へ

 

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない

 

 

夫のちんぽが入らない/こだま  読書感想文

 ※ネタバレがありますので、本を読んでいない方はどうか見ないで下さい。

もったいないです。本を買って、まずは読んでください。買いです。

 

「自分は間違っていなかった。」

「自分は間違っているんじゃないか。」と考えずにいられない作品。

私の声、届くだろうか。

そう身を持って痛々しい心の叫びをまっすぐに問う著者の生き方と人柄。

その美しさに心動かされ、嫉妬を自覚せずにはいられない。

 

内気な少女が悩みながら大人になってゆく話。であるが、でもない。

大人になっても内気である。

病気や苦難に立ち向かってきた本は数ある。

それらは自分とはかけ離れた人間の話のように感じることがある。

その立派さは、立派であるからこそ感動させる。

でも時に、だらしのない自分を咎められているような気分にさせる。

スキのなさに口をつぐんでしまう。

 

夫のちんぽが入らない。

この本はもっと口をつぐまされる。

軽々しく感想を語れない。

感想を語ることは自分の本質をさらけ出すことである。

この本を語る時、人はいい格好ができない。絶対に。

上っ面の道徳で語るのは逃げである。

考えたくなる。考えずにいられない。

強烈な余韻。

とんでもないものを読んでしまったという気持ち。

それは決して晴れやかなものではない。

 

わたしが著者こだまさんの人間性に魅力と畏怖さえも感じた一番のエピソードが教師になりたかったということ。

「教師という職業に子供ころから憧れていた。なれそうなものでなく、なりたいものになりたい。」

その静かな熱い気持ち。踏み出した勇気。

物心ついた頃から人と関わることを苦痛に感じてきたこだまさん。人と話すことに緊張し、親しい友人もいない田舎の学生生活は華やかなものでなく、楽しいものでもなかったはず。

にもかかわらず先生になりたい。

一番なりたくない職業になってもおかしくない。

もちろん充実していなかったからこそ、なりたい理由になることも自然である。

でもその意外性に違和感を感じたというか、とても引っかかるものがあった。

それは何なのだろう。

 

育ってきた環境からか結婚に憧れを抱けずに、子供を生みたいとも思ったことがなかったこだまさん。

教師に「人はなぜ結婚するのか」と問われるも、それが純粋にわからず答えに困る。

「好きな人と一緒にいたいからです。」とあっさりと答えるクラスメイトに動揺する。

私の個人的な話で、とても似たようなことがあった。

女子高に通っていた3年生の頃。

保母さんになりたかった友達が幼児教育で有名な大学の不合格の知らせを受け、落ち込んでいた。今にも泣きだしそうな表情。混乱し、恥ずかしそうにもしていた。

今思えば色んな事情があったのだろうし、彼女なりに思うところがあったのだろう。その友人は保育の道をあきらめようとしていた。

どのくらいの志があったのかは本人にしかわからないし、問題ではない。私は保母さんとか教師になりたいという人の気持ちさえ全く理解できなかった。

こういう時にどんな言葉をかけるのが正しいのか分からない私は、「もったいないよ。他のところも受けてみたら」と話しかけた。

友人は「いい。いつか、自分の子供うんとかわいがる。」と答えた。

びっくりした。足元がすくわれるような思いとはこういうことなのかと思った。

的外れだったであろう私のなぐさめに対し、保育の道をあきらめるという意志といつかは母親になるという意識を断言した友人。

保母さんになりたいということはもちろん子供が好きなのだろうし、18歳の彼女が結婚や出産について具体的に考えているわけでもないことも分かる。

彼氏がいたわけでもない、真面目といっていい女の子だった。

 

自分の子供を産むという感覚をすでに持っていた。

こだまさんが感じたように、そんなこと考えたこともなかった私は動揺した。

志望の大学に受け入れられなかったショックのせいか、わずかな強がりのような語気も含まれていたその言葉を、わたしは年を重ねてもずっとずっと忘れられなかった。

自分より幸せそうに見える人や充実している人に対する劣等感とも少し違う。

私は人として動物として女として不自然ではないのだろうか。

根本的に最初の段階でどこか間違っているのではないのか。

 

誰にも話せなかったし、似たような出来事はそれから何度もあった。

その友人やそう感じさせる人たちに嫉妬していた。憎んでいた。

私にないものを持つ人たち。当然であるかのように疑いもしない人たち。

それでも動揺を顔に出さずに笑って話を合わせる。わたしはあなた達と同じですよ。わたしはおかしい人ではないですよと。

そういう自分が情けなかった。

 

どうして結婚したいの?どうして子供をほしいと思ったの?

愛する人がいればその気持ちって自然に芽生えるものですか?

本当は誰かに真正面から聞いてみたかった。

 

多くの人たちは社会的に年貢の納め時だから結婚し、頃合いだから子供を持つものだと思っていた。

ヤンキーはステイタスのために十代で子供を生むのだと思っていた。

違うのかもしれない。純粋に子供がほしいと感じたのかもしれない。

「女は結婚して子供を生むのが一番の幸せ」という流れに違和感を感じながらも、うまく流されればどんなに楽だろう。流れの中の小さな岩場にずっと取り残され、自らとどまっている孤立感。

どうしても飛び込めない。飛び込めば何でもないことなのかもしれない。

前提としてひとりでは飛び込めない。結婚も出産もひとりではできないのだから。

愛や恋もわからない。大人になればなるほどわからない。

でも大人になればなるほど憧れずにいられなくなっていく。

女には時間の制約がある。

わたしは動物なのだから。メスなのだから。

 

「あなたたち女性は結婚して子供を持つために生きているのです。国語や化学や数学に意味はないのです。お勉強は結婚して子供を持つための一つの手段なのです。勉強ができればいい学校にもいい仕事にも着くことができます。でも決してそれが目的ではないのです。結婚して子供を生むことが女性の生きる意味なのです。くれぐれもそこを頭に置いておいてください。矛盾していますが、お勉強ができなくても結婚も出産もできるのです。お勉強できない方がいいことだってあるのです。だから勉強しなくってもいいのですよ。あなた方が決めることなのです。とにかく、英語も歴史も漢文も浮世の義理だと今は我慢してください。」

そう学校で教えてほしかった。授業の前に毎回唱えてほしかった。

いや、そんな当たり前のこと教えられなくても誰もが分かっていたのかもしれない。

知らずにいたのは自分だけなのかもしれない。 

 

こだまさんは憧れていた教師になる。そして結婚。

忙しく、悩みながらも充実した教師生活を送る。

突然の学級崩壊。自分では手に負えない状況になるも夫にも誰にも相談できない。精神的な緊張状態。平常心を失い、次第に死んで楽になりたいと思い始める。

そんな時インターネットで知り合った名もない男たちとの体だけの関係にのめり込んでいく。ちんぽは入る。気持ちが擦れていくの感じながらも、束の間辛い現実から逃避できる。

退職後、一度は決意し妊活にも励む。持病の断薬による苦しみによって断念せざるを得ない。

 

子供を産むことに悩み、産めないことに苦しむこだまさん。夫のちんぽも入らない。自分はおかしいのではないのかと、常に感じる劣等感。 

教師という職業を選んだこだまさんに感じた私の違和感は、皮肉にもこだまさん自身がずっと感じ続けた「結婚願望もない、子供をほしいとも思えない。」その負い目で覆われていた「母性」という能力の存在の無自覚さではないだろうか。

結婚願望もない、子供をほしいとも思えない。一見母性の欠落のようにみえる。

「こんな心の純粋な人、見たことがないですよ。」

「あんたの産む子が悪い子に育つはずがない。」

夫のその言葉が象徴するようにこの本を読むと随所にこだまさんの人間性に母性を感じずにはいられない。

学級崩壊しながらも子供と誠実に向き合おうとする姿。強い責任感。

大人の都合で子供をだましていないか。分かったふりをしていないか。

臆病で自分の気持ちを話せない子供だったこだまさん。

自身にも他者にも敏感であるから話せない。

 

そんな自分のような目立たない子供もそばで見守ってあげたい。手を貸してあげたい。うまく話せない気持ちが誰よりも分かるから。元気で明るい子供も悩みを持っていることを知っている。言えない言葉があることを知っている。一番悩んでいることをいつも話せないわたしだから。人の顔色をずっと見てきたわたしだから。子供ひとりひとりの顔がある。ひとつの正解はない。わたしだけはあなたをちゃんと見ている。わたしは教師として味方でありたい。よりよい方へ導いてあげたい。

 

若きこだまさんには少なからずそんな理想があったのではないだろうか。

しかしながら現実は理想通りにはいかない。

周囲とのズレ。違和感の連続。

そして、子供の救いようのない残酷さ。子供ながらの憎たらしさ。

現実につまづいた若者のかつての理想を「世間知らずで夢見がちな愚かな理想」だと言う人は老人である。

自分がかつて若者であったことすら忘れた老人。精神の老い。

 

過干渉でヒステリックな母親に疎まれ、母の顔色を察し自分を押し殺してきた著者。甘えるという発想もない。

幼少期の環境は子供を産むことを恐れる一番の理由になっている。

女性にとって生理的な母性は先天的に備わっているものなのだろう。

一方、成長と環境によって育まれるものでもあるはず。

もちろんこの場合の母性とは子供を産みたい、育てたいという繁殖のための性質にとどまらない。優しさであったり思いやり、男を、または自分よりも弱い者をサポートするという女性特有ともいえる普遍的な性格の意味での母性である。

それは家族の愛情だったり人と接する中で芽生え膨らむものかもしれない。

しかしながら、こだまさんは全く逆で、その愛情の不足と愛情への欲求によって母性を育んできたのではないのだろうか。

そこには母への恨み・憎しみも含まれる。

自身の母性の欠如を意識するも、とっくに存在しゆっくりと育まれてきたまぎれもない母性の種。

未熟な種。

それこそ気づかぬうちに教師という職業にあこがれ突き動かしたものではないのか。

 

もちろん具体的に憧れた先生などがいたのかもしれない。

未熟なちいさな動物のような自分にも優しかったのかもしれない。

教壇に立ち、動物のような子どもたちをまとめる先生はおかあさんというものに似ている。

 

夫がこだまさんに感じる魅力のひとつも母性である。

夫にとってこだまさんの存在は、守るべき恋人から守るべき妻へと移り変わる。

そして家族になる。

ゆく川の流れのように

 

パニック障害になった夫。

教育者としてがんばる夫。尊敬すべき夫。まわりを気にしない夫。はぐれ狼のような夫。強い夫。自信をもっていた夫。うまくいっていた夫。うまくいっているように見えていた夫。我慢していた夫。強いばかりではなかった夫。疲れていた夫。気にしていた夫。言えなかった夫。打ち明ける夫。つよい男。やさしい女。守る女。

母に泣きつく子どものように。子供を抱きしめる母のように。

 

男は女に弱みを見せられない。

夫にとって妻は女である。

夫は妻に弱みを見せられない。

子どもは母に弱みを見せる。

子どもにとって母は女ではない。

夫が弱みを見せたとき女は妻ではなく母である。

弱みを見せた男はそのとき夫でなく子どもである。

男の性(サガ)。諸行無常

 

大学時代に出会ったふたりはお互い直観的に、動物的に惹かれ合う。

夫がこのとき感じた魅力は母性ではなく処女性である。

この感覚は男性の方がよくわかるはず。 

新生活をボロアパートで始める女の子。くそ田舎から出てきたあか抜けない女の子。世間ずれしていない女の子。冷やかしたくなる女の子。会話も頼りない女の子。緊張と恥ずかしさを隠している女の子。隠せていない女の子。構いたくなる女の子。かわいい女の子。

 

それにしても大学時代のこの若いふたりのやりとりを照れずに、うらやましさを感じずに読める人はいるのだろうか。青春という言葉では落ち着かない。いっそ作り話であれば救われる。

「ちんぽ」が入らない場面さえ。

山にトンネルを通す掘削員のように、時にはお百姓のように、といった名文句。

その様子がありありと目に浮かぶ。

かつて性の早熟さを誇示するような同級生のあけすけな秘め事を忌み嫌っていた著者。

その静かな反発心と照れと配慮と笑いのセンス。

 

その一方、インターネットで出会った男たちとの密通のエピソードの潔いみだらさ。

きんつばのエピソードはわいせつ、かつ官能的である。

こんなことされたり縛られたり、著者こだまさんは一体、実際どんな女なんだよとエロおやじの様に妄想せずにいられない。若い真面目な女教師を。

不謹慎ですが。

こんなにも巧みに言葉をあやつる女はきっとエロくて色気があるに違いない。

そうであってほしい。

こころやさしく、エロく、いやらしく。

 

死を意識し精神を病んだこだまさん。

自殺未遂をおこすでもなく、病院に行くでもなく、ひきこもるでもなく、男たちと会う。したいと言われたら、する。

この堕落のエピソードがないと、この本は成立しない。

夫への秘密。 罪。

 

メス犬。尻軽。貞操観念がない。教師のモラルはどうした。教え子に説明できるのか。恥ずかしくないのか、この恥知らず。真面目そうな顔して。こわいこわい。これだから女は。本当はヤリたかったんじゃないのか。きれいごと言うなよ。ちんぽを入れられたかったんじゃないのか。気持ち良かったんじゃないのか。感じてたんじゃないのか。悲劇のヒロインを気取るな。病んでるせいにして正当化するな。そもそもなんで病院に行かなかったのか。夫に申し訳ないと思わないのか。夫が風俗に行ってるから自分も許されると思ったのか。それともあてつけか。

純情ぶるんじゃねえよ、やりまくってるくせに。

 

その行為について、人がどう言おうと自由である。

 

でも、出会った男たちにとって、こだまさんは最高の女なのである。

あなたより。

タダでヤラせてくれる女。若い女。どこか病んでる女。

どこか病んでる男たち。ヤリたい男たち。救われる男たち。

 

どう言おうと自由である。

でもその言葉の中に、裏に、嫉妬心がないと言えますか?

男の人も女の人も。

 

わたしはこだまさんがすこしうらやましいです。

そんなこと言いたくないけれど。

間違っているけど間違っていないから。

間違っていない。

もっともらしい批判で自分を隠していた方が楽だけど。

 

決して、言いたくはない。

 

この本は「ちんぽ」に縁遠い女性と「ちんぽ」をもてあます男性の話である。

こだまさんと旦那様には大変失礼な表現かもしれませんが決して皮肉っているわけではありませんし、同情を意味するものでもありません。

 

「好いている人に、好いてもらえていた。」その相手のちんぽが入らない。心は通い合っているのに入らない。ずっと入らない。

大好きな相手のちんぽが入らない女。悩みまくる女。

大好きな相手に入れたいのに入れられない男。ちんぽをもてあます男。風俗に通う男。

 

 

「ちんぽ」に縁遠い女性と「ちんぽ」をもてあます男性。

と聞いて自分のことだと思い当たる人はたくさんいるのではないか。

もちろん、神様に細工された特殊な夫婦のようなケースでなく。

 

独身、既婚、恋人、夫婦、パートナーがいない、家族、他人、血、親、子、父、母、妻、夫、兄弟、ともだち、恋、失恋、セックス、性欲、さびしい、自然、社会、生活、風俗、自由、あこがれ、青春、すき、きらい、孤独、恐怖、不幸、よろこび、不満、不安、自分がわからない、焦り、嫉妬、未練、涙、喧嘩、学校、仕事、責任、お金、病、快感、つながり、つよがり、自慰、興奮、不感、不能、苦痛、憎悪、気持ちいい、うそ、羞恥、年齢、容姿、経験、障害、人と違う、自信、理屈、理性、生理、出産、堕胎、介護、ひとりでは生きられない、葛藤、義務、条件、見栄、妥協、退屈、演技、我慢、優越感、劣等感、醜い、美しい、純情、不純、色気、堕落、暴力、犯罪、売春、買春、子ども、おとな、少年、少女、老人、童貞、処女、娼婦、同性、浮気、不倫、あなたがいい、誰でもいい、後悔、罪、罰、夢、しあわせ、躰、こころ、ことば、人生、時間、人間、ヒト、動物、矛盾、オス、メス、生、死、生、愛、愛したい、愛されたい、愛されない、入らない、ちんぽが入らない

 

夫のちんぽが入らない。

 

 この本を「ちんぽ」に縁遠い女性と「ちんぽ」をもてあます男性に読んでほしい。 

 

自分にかっこつけるなよ。

 

「ちんぽ」に縁のない私の声、届くだろうか。

 

 

ちんぽのパワー

「夫のちんぽが入らない」

 強烈なタイトルで発売前より話題になっていたこの本。

「ちんぽ」という言葉が放つパワー。にもかかわらず繊細な何かを予感させる本。

書店の特等席に並べられたその本が目に入ると思わず駆け寄った。

控えめな表紙。

女性でも手に取りやすい。ホッとする。

レジに差し出すと同時に、いつものように「カバーをかけてください。」と小声でお願いする。

「かしこまりました。」とバーコードをピッと通す店員。

その瞬間、こちら側に向けられた支払い金額の画面に

 「夫のちんぽが入    ¥1,404

と大きく表示される。

えっ・・・。

タブレット端末のような立派なその画面。

3メートル先からでも読める程のフォントサイズ。

後ろに並ぶ人の視線を背中で感じ硬直。

お客様がお金を用意する時間を無駄にしないという計らい・マニュアルなのか店員は先にカバーを付け始める。

その間も画面にでかでかと「ちんぽ」。

そそくさとカウンターにお金とポイントカードを出す。

うつむき加減で音楽の無料冊子を見る。

見るふりをする。

お姉さん、どうか一刻も早く清算キーを押してください。

思わぬ辱めからやっと解放された私はカバーのかけられた本とレシートとクーポン券を受け取り、逃げるように店を出た。 

 

 恐るべしちんぽパワー。

不動のちんぽパワー。

のっけからちんぽパワー!

早く読みたい。